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Who We Are & What We Do




Core values



私たちは、聖書が神のみことばであることを信じます。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、この聖書のみことばが私たちを教え、戒め、矯正と義の訓練のために有益であることを認め、絶対的な案内書とします。(Ⅱテモテ 3:16.Ⅰテサロニケ2:13.Ⅱペテロ1:21)

私たちの神は唯一なる神であり、父・子・聖霊は三位一体の神であることを信じます。天の父なる神はすべてのものより偉大な唯一の神であることを信じます。また御子なる神イエス・キリストは、みことばが肉体となられてこの地上に来られた存在であり、世が造られる前から父なる神とともにおられたことを信じます。また聖霊なる神は、父なる神から出た永遠なる方であり、イエス・キリストが父なる神の満ち満ちた神聖を持っておられることを証しされる方であることを信じます。

私たちは、人が神のかたちにかたどって造られたことを信じます。
アダムの不従順によって罪がこの世に入ってきて、そして彼の罪によってすべての人類が罪を犯したことになり、神の栄光に達することが出来なくなった事を認めます。聖書に「義人はいない、一人もいない」とあるように、神のひとり子なるイエス・キリストは、サタンがもたらす死と呪いの力より人類を救うために、十字架上で血潮を流し死なれたことを信じます。そして、イエス・キリストは死より三日目によみがえられ、父なる神とともに天の御座におられ、また将来、再び私たちを迎えるために来られることを信じます。こういうわけで、救いは私の行いやおきてによるものではなく、イエス・キリストを信じる信仰と神の恵みにより救われることを信じます(エペソ2:8)。

私たちの救いの一歩は、悔い改めから始まること、また信仰によって生まれ変ったすべての聖徒は永遠の神の御国に入ることを信じます(Ⅱコリント7:10、Ⅰヨハネ5:12、ヨハネ3:3~5)。

私たちは、キリストを信じる者にのみ、主が直接命じられた浸礼のバプテスマを授けます。そして、バプテスマは私たちがキリストとともに死に、葬られ、よみがえったことをあらわします。(マタイ28:19、ローマ6:4、コロサイ2:12、使徒の働き2:36~39)。

私たちは聖霊と火のバプテスマは主イエス・キリストが信じるものすべてに約束された神からの賜物であり、これは新生体験に続いて受け取ることを信じます。そして、聖霊が語らせるとおりに異言を語る事はこの体験のしるしであると信じます。(使徒の働き2:4、38~39、マタイ3:11、ヨハネ14:16~17、使徒の働き19:1~7)。 第1コリントの12章と14章にあるように、初代教会の人々に与えられた聖霊の賜物がキリストの体に働くことを信じます。

私たちは、聖さなしには主を見ることが出来ないことを信じます(ヘブル12:14、Ⅰテサロニケ5:23、Ⅱペテロ3:18、ピリピ3:12~14、Ⅰコリント1:30)。この聖めは、再生の時から始まり、救いの完成の日まで続くプロセスであると信じます。

私たちは、信仰によって病んでいる者に手を置き祈る時、神のいやしが現れることを信じます(マルコ16:18、ヤコブ5:15、Ⅰペテロ2:24、マタイ8:17)。 なぜならば、イエス・キリストが十字架の苦しみによって私たちの弱さをすべて背負ってくださった(イザヤ53:4~5)から、癒す権限が神の教会のすべての聖徒に与えられていることを信じます。

私たちは、天使が語られたように再び、イエスがこの地上に再臨されること(使徒の働き1:11)と、主が再び来られる時、キリストにあって死んだ人がまずよみがえり、キリストにあって生きている者と一緒に引き上げられ、後に主とともに地上に戻ってくることを信じます(Ⅰテサロニケ4:16~17)を信じます。

私たちは、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように(ヘブル 9:27)、イエス・キリストを知らず、その犯した罪により肉体の死を迎えられた人々には、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれ(黙示録 19:20)、福音と悔い改めの福音を聞くチャンスがないとのみことばを信じます。文字とおりに硫黄の燃えている火の池の中で永遠に呪いの刑罰を受け、その反面イエス・キリストを信じる聖徒は父なる神と永遠に神のみ国で喜びと楽しみ、栄光に満ちたときを過ごすことを信じます。

私たちは、行いのない信仰は、何の役に立たない(ヤコブ2:14)ことを信じます。 どのようなことも、それに応える行いがともなわなければ信じることができません。私たちの信仰は、この世において神のみことばを実践、実行する、生きている信仰です。私たちの信仰は、原理原則とか知識で限定されるような受動的な信仰ではありません。生きていて、行動のともなう信仰とは、ただ知識だけではなく、その信仰に基づいて行動し、表現する信仰です(エペソ2:8~10、マタイ5:16、7:24~27、16:27、Ⅱコリント5:10、黙示録2:23、22:12)。

神の教会においての聖徒の訓練は、信頼と謙遜に基づいたグループ間で成り立たなければなりません。この訓練の目的は、それを受ける者が回復され、教会が浄化、訓練されるためのものです。この訓練の段階は一対一の個人の間で始まり、終局的には教会全体に拡張されていかなければなりません(マタイ18:15~20、ガラテヤ6:1、ローマ16:17、Ⅱヨハネ9~11、Ⅰコリント5: 、Ⅱコリント2:6~8、Ⅰテモテ5:20)。

私たちは、神の教会がキリストの体であり、各地域の諸教会と聖徒個人そして、連合されているすべての教会とキリスト・イエスの内にある諸聖徒が一つの神の群れであることを信じます。ですから神の教会は、単なる人々の集まりや建物として見るのではなく、頭なるイエス・キリストによって和合し、一つの体として建て上げられなければならないことを信じます(Ⅰコリント6:15、12:12~31、ローマ12:4~5、16:5、Ⅱコリント1:1、Ⅰペテロ2:4~5、エペソ2:19~22、4:11~16)。

地域教会は自立しながらも、教会間、ミニストリー間で交わりを持ち、また公式の関係性を築き上げることを信じます。また、使徒や預言者は地域教会の枠を超えて基礎を築くための働きをすることを信じます。そして地域教会は、彼らから助言や指導、励ましや助けを求める目的で、使徒や預言者と関係を持ちます。このようなミニストリーは世界中でキリストの体のコネクションと関係を助けること、霊的カバリング、守り、説明責任、アイデンティティを与えること、また地域の霊的リーダー(牧師或いは長老、聖書では長老として記されている)たちの均衡をとることを信じます。

キリストの体に関するすべてのこと、つまり、ミニストリーの方向性と鍛錬、その機能、細かい導きと教え、啓示、偽りによる惑わしに対する霊的見分けなどは、聖霊の導きのもとに、御霊によって私たちがわきまえ知ることができると信じます。(使徒の働き13:1~3、Ⅰテモテ1:18、5:22、ヨハネ16:13~15、Ⅰコリント5:3、ローマ8:14)。

按手によるミニストリーは聖書的に祝福をもたらす方法であることを信じます。イエスはマルコ10:13~16でそれを実践しました。これが、私たちが洗礼の代わりに献児式をする根拠です。そして、按手によっていやしがもたらされる(マルコ5:22~23、41、5:28~31、使徒の働き19:11~12、28:8)。また、按手をもって任命すること(使徒の働き6:2~6)、按手によって聖霊を受け入れるようにすること(使徒の働き8:16~18)、按手をもって預言の言葉を語ること(Ⅰテモテ4:14)按手をもってより深く油注ぎを受けさせること(Ⅰテモテ4:14)、また按手をもって長老の職に任命することを信じます。

キリストの体の肢体としてバプテスマを受けた私たちは、お互いに告訴したり、この世のことで教会が軽く見られないようにしなければなりません(Ⅰコリント6:1~8)。また、イエス・キリストの同じ肢体となっている兄弟同士がノンクリスチャンの前でお互いを告訴する事や批判することなどをしないようにしなければなりません。

神は今日においてもご自身のみこころを語っておられます。神が少なくとも預言の五つのチャンネルを通して語られることを、今日の神の教会においても受け入れるべきことでしょう。1つは、預言者を通しての預言、預言的説教を通しての預言、預言的な長老の働き、預言の賜物、預言の霊です。この5つともがこの教会において、認められ、また奨励されます。その他、聖書が語っている神の方法で個人あるいは教会に語られた神のみことばは、私たちの信仰生活と神とともに歩む生涯においては最も重要なことです。しかし預言は、神の御心と導きを知る方法のうちのひとつでしかありません。しかし、どのような預言のチャンネルでも100%正確とは言えません。他の方法で確証が与えられない限り、預言だけでは私たちは行動に移すことはしません。長老による預言は、彼らの行政とリーダーシップを活性化させ、建て上げ、権限を与え、任命します(Ⅰコリント14:1、3、14:39、エペソ2:20,4:11、Ⅰテモテ4:14、5:22、Ⅱテモテ1:6、テトス1:5、使徒の働き13:1~3、ローマ12:6、Ⅰペテロ4:10、Ⅰテサロニケ5:19~21 黙示録19:10)。

使徒的ミニストリーとは、ひとつまたは複数の地域における基礎的働きであり、父としてキリストの上に土台を据え、聖徒たちを整え奉仕の働きをさせることものでると信じます。 (エペソ4:11~16、コロサイ1:25~29、ヘブル6:1~2)。

神が建てられたどんなリーダーシップにおいても常に、代表的な指導者がいます。
リーダーシップ・チームにおいてのリーダーは、平等な中の一番目に位置するものであり、リーダーの中のリーダーですが、必ずしも、牧師という職である必要はありません。リーダーとは、教会においてすべての事項の最終責任と意思決定権を持つものです。そして、その教会の中心的なヴィジョンを受け取る人であり、それを明確に表現し、実現させていく人のことです。そして、このリーダーは神からの恵みと、油注ぎと、能力と、ヴィジョンをもって認知されます(民数記27:15~22、Ⅰコリント12:18、エペソ4:11、使徒の働き13:1)。神はこのリーダー(ヴィジョンを受け取る者)とともに働くための長老を建て上げます。このリーダーと長老たちによるリーダーシップのチームにおいては、お互いに献身しあわなければなりません。すべての分野において、神のみこころを行おうとするお互いの献身が必要とされます。


1) Apostolic Center (Antioch type)

– Focusing on missions by sending people to missions fields through the development of the Fivefold Leaders

– Training and raising Marketplace ministers

2) Power Evangelism Crusades

3) Apostolic Oversight for Fivefold Ministry and Churches

4) Prophetic Shelter for the Nations

5) Equipping and Training future Fivefold Ministers

6) Networking with churches and leaders

7) Planting churches based on the foundations of apostles and prophets

8) Resource Center for World Missions

9) Providing Spiritual Accountability through Relationships

10) Consulting Marketplace Ministers

11) Twenty four hours Global Intercessory Prayer Center


神は、キリストのからだなる教会のために新しい枠組み(新しい皮袋)を建て上げておられると、私たちは信じる。

聖霊は、キリストのからだなる教会を導き、治め、父として見守る使徒の働きを回復しておられると、私たちは信じる。

あらゆる場所で、教会や牧師たちが、ネットワークを通じて実りのある関係を求めており、これは、聖霊ご自身が率先して進めておられる流れだと、私たちは信じる。

キリストのからだなる教会への使徒と預言者の回復は、教会に力と権威がもたらされ、主が再び来られる前に、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけに達する(エペソ4:11-13)ために必要だと、私たちは信じる。

これらの変革と回復は、終わりの時代に世界の国々を整えて、再臨のキリストを迎える用意をさせるために、キリストのからだなる教会に対する準備であると、私たちは信じる。

使徒と預言者の働きと、人間関係を基準にしたネットワーク作りの原則もまた、終わりの時代という性質のゆえに、教会のいのちのために不可欠なものだと、私たちは信じる。

将来、多くの国々で神の国の大収穫が起こる。この世界的大リバイバルは、現在、キリストのからだなる教会の多くの人々によって期待されていると、私たちは信じる。

マタイによる福音書28章19-20節と使徒1章5、8節に表されているイエスの大宣教命令は、今日、すべての教会が真剣に受け止めるべきことであると、私たちは信じる。

使徒的な関係重視によるネットワークは、終わりの時代において、キリストのからだの動脈と静脈であると、私たちは信じる。

今こそ立ち上がり、すべての国々に広まる世界的なクリスチャンミニストリーのネットワークを作れという、キリストの召命を受けたと、私たちは信じる。

あらゆる国において使徒の働きを推し進め、また、すべての教会とミニストリーを連携させるよう、キリストによって遣わされたと、私たちは信じる。